神の沈黙・遠藤周作

情神論

情神論・・・・神は無能であるという考え
神が無能だと考えられる一例
●イエスの弟子たちの無残な死
●アメリカ大陸に信仰の自由を求めて渡り、神への信仰が篤かったピルグリムファーザーズたちが半数も飢餓と病気で死亡した。
●江戸時代の日本を始め、多くのキリスト教徒が、悲惨な迫害をうけ、むごい死に方をした。


情神論では説明できない神の勝利
●キリスト教が多くの苦難と絶望的な状況にもかかわらず、それを乗り越えたあとでは著しく繁栄し現在は世界一の大宗教となっている。
●ピルグリムファーザーズたちが困難を乗り越えた信仰の土台の上にアメリカ合衆国が建国され、世界でもっとも影響力の強い 裕福な国となった。これも、明らかに神の祝福を意味するものであり、決して無力な神ではないことを示すのではなかろうか。
●また、初期のクリスチャンたちが、希望としていたキリストの再臨も無く、頼りにしていた使徒や幹部はほとんどみな横死してしまった。
ということになれば、その弟子たちは信仰が失われてしまっったとしても不思議ではないが、その信仰は根強く残り、313年ミラノの寛容令で、ローマ帝国で公認され、380年にはローマの国教にまでなった。
キリスト教においては、神は沈黙しっぱなしであったのに、今や世界人口の3分の1を占める最大の宗教となっている。
こうした事実は情神論ではとうてい説明不能である。

1. 無神論
(神はいない)
神は沈黙しているのではなく、もともと存在していないという考え。 →無神論について
2, 理神論
(神には愛がない)
全知全能だが、愛のない神が存在し、愛の欠如ゆえにこういう事態に全く手を出さない。 →理神論について
3, 情神論
(神は無能)
愛の神だが、無能な神が存在し、能力の欠如ゆえにこういう事態に全く手を出せない。 →情神論について
4, 人格神論
(神は全知全能で 愛がある)
愛の神であり、全知全能の神は存在するが 何らかの重大な理由によりこういう事態に全く干渉しない。 →人格神論について