神の沈黙・遠藤周作

私(このサイトの製作者)にとっての「神の沈黙」

野村健二氏が感じていることと同じく、私の30年以上の信仰生活の中で、神は沈黙しているという実感は 少ないのです。
ただ、神がすぐに答えを出してくれないことや、善なる願いでも、なかなかかなわないことや、神体験をするまで何年もかかることもあります。
一時的に神が沈黙しているように見えても、善なる行いをし続け、必死で求め、祈り続ければ、必ず神は答えてくれるという実感があります。(→なぜ神様が好きになったか
これは、多くの統一教会員(家庭連合会員)が感じていることではなかと思います。

これは今までの歴史を見ても、本当に恵まれていることだと思います。
「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。」使徒 2章17節
今がまさに終わりの日なのではないかと感じます。

かつての多くの信仰者たちが、神の沈黙に直面しなががらも、涙を流し、血を流し、命を犠牲にしながら信仰を全うしてくださったこと。多くの宗教者が行ってきた犠牲や善行や祈りの土台があり、イエス様の十字架の犠牲があってこそ、今の時代があるのだと、感謝しています。

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