神の沈黙・遠藤周作

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このサイトは、
「神の沈黙と救い」―なぜ人間の苦悩を放置するのか
(野村 健二著)
をベースに製作しています。


野村健二氏  あとがきより
私は実は、自分の願望さえ神の願いと一致していれば、私の求めに対して神が沈黙しておられるなどということは絶対にないと、幸運にも信仰を持ち始めたばかりの32歳のころに体験で知ることができた。
6日にわたる聖書の研究会の時、神の実在性について、科学的、心情的、歴史的に、知的にも情的にも全く申し分のない説明がなされたので、心から驚いて理屈としてははっきりわかった。
しかし、なお念のため、「目で見て確認したい」とスタッフにいったら、何と事もなげに「じゃ祈って神様に直接きいてみたら」と言われた。
この願いがかなうためにはよほど真剣でなければならないだろうと思って、夜を徹して声をふりしぼって祈ったものだった。~中略~
その祈りが聴かれたのだと深く感動したのであった。
私にはこういう体験があるので、「神の沈黙」ということを聞いても、実のところピンと来ないのである。信仰という点では全くの初心者で、この研修会に参加するまで、宗教にふれたことは一度もなく、神が存在すことなどは考えたこともなかったほどなのに、それなのに神は答えてくださった。
それなのに、長い修行を積んだ司祭の祈りに神が何も答えられないなどということが本当にあるのだろうかと、不思議に思いさえするのである。
~中略~
私の体験は時代が改まってからの特別な恩恵であったに相違ない。
そう考えれば理論的に納得がいく。
このように体験と理論とさらに資料(聖書もその一つ)の3つの角度から確認されたものを自分の責任で一つの答案として書いたのが本書である。~中略~
とはいえ、目に見えない神の世界についての論究であるから、信仰告白的な内容もあったかもしれない。
また、考察の大前提となったのは統一思想である。
統一思想は聖書に比喩的に述べられている神の事情と心情を、ユークリッド幾何学のような単純明快な根本原理に従って厳密に解き明かしたものである。



野村健二 略歴
1933年
石川県に生まれる。
58年東京大学文学部を卒業し、65年同大学院人文科学研究博士課程(心理学)終了
東洋大学講師を2年半務める。
4男2女の父親
66年日本統一教会に入会し、69年、統一教会の合同結婚式に参加。
現在、統一思想研究院顧問。多数の著書を執筆。



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このサイトの製作者にとっての神の沈黙

1. 無神論
(神はいない)
神は沈黙しているのではなく、もともと存在していないという考え。 →無神論について
2, 理神論
(神には愛がない)
全知全能だが、愛のない神が存在し、愛の欠如ゆえにこういう事態に全く手を出さない。 →理神論について
3, 情神論
(神は無能)
愛の神だが、無能な神が存在し、能力の欠如ゆえにこういう事態に全く手を出せない。 →情神論について
4, 人格神論
(神は全知全能で 愛がある)
愛の神であり、全知全能の神は存在するが 何らかの重大な理由によりこういう事態に全く干渉しない。 →人格神論について